こんばんは!
今回はチームのムードメーカで広報局長をつとめた佐藤華依さんです!
彼の最大の武器は何といってもループシュート!
きれいな弧を描いたシュートに見惚れてしまうことはしょっちゅうありました。
更に学生コーチとして地元の仙台で高校生への指導も行っており、選手とコーチの二つの顔を見せるハイブリットな先輩です。(笑)
果たしてどんな言葉を綴ってくれるのでしょうか。
それでは、どうぞ。
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氏名:佐藤 華衣
ポジション:RW,RB
出身:宮城県 仙台第三高校
卒業ブログ
「筑波大学だから挑戦できること」
こんにちは。筑波大学男子ハンドボール部4年の佐藤華依(さとう かい)と申します。
今回、卒業ブログという形で僕の経験を発信させていただけるということで、4年間のこの経験が誰かのお役に立てればいいなあという思いで全力で記事を書きました。。
感動的なお話はできませんが、筑波大学はそんなところなんだとご理解いただければ幸いです…!
僕は筑波大学はハンドボールの競技力向上や試合で勝つことに真剣に向き合うことが出来る環境であるともに、ハンドボールに様々な関わり方が出来る環境だと思っています。
今回はその「様々な関わり方」の部分を軸に僕の経験を紹介していきたいと思います。
ざっくり僕が筑波大学男子ハンドボール部でできた経験は…
「ランニングスコア記録&集計」
「広報局長(SNSの立ち上げ)」
「Bチームのキャプテン」
「インカレモチベーション動画作成チームの結成」
「母校の高校生指導と中学生指導」
「リーグ戦の実況・解説」
「ハンドボールコーチ3の資格取得」
などです笑
本当にたくさんのことを経験できたなと思います。
せっかくなので一つ一つ紹介していきたいのですが、字数に限りがありますので「広報局長」「インカレモチベーション動画の制作」「Bチームのキャプテン」「母校の高校生指導と中学生指導」の4つに絞って紹介していきたいと思います。
ー広報局長(SNS運用担当)ー
2年生の後半頃から競技の面以外でもチームに貢献したいという思いが強くなり、SNSの運用の活性化をチームに提案しました。
広報局を立ち上げて、それまでもあったTwitter運用強化と新しくInstagramのアカウントの運用も始めました。右も左もわからない中、画像編集や動画編集技術などを勉強しながらチームの情報を発信しました。
だんだん他にもSNS運用に協力してくれる部員が増えていき、今では登録者4000人もいるYouTubeチャンネルもチームで運用するまでになりました。
今の規模で考えれば大したことをしてなかったなあと思いますが、SNS発信を活発に行なっていくきっかけを作れたという意味でチームに貢献できたのではないかと思っています。
ーインカレモチベーション動画の制作ー
3年生のインカレで私は目標にしていたインカレのベンチ入りを逃してしまいました。
地元宮城でのインカレだったので非常に悔しかったですが、あんまりくよくよしていてもしょうがないので、一緒にベンチ入りできなかった同期2人に声をかけて、インカレの試合直前に選手が見るモチベーション動画作成班を即席で結成しました。
例年は2年生が担当するモチベーション動画制作を仕事を奪ってまでやったことだったのですが、これがものすごく大変で、決勝まで5日間で5つの試合があったため、昼はチームの応援を全力で、夜は徹夜で動画作成をその期間ほぼ毎日続けました。
苦労のかいあり、試合前は選手の爆笑や涙を誘う良い動画を作ることができ、チームの結果はインカレ優勝でした。
大変でしたが、大会が終わったあと「あの動画のおかげで優勝することができた」と言ってくれる選手もいてとても嬉しかったです。あの期間最終日まで動画作成ができたことを誇りに思っています。
ーBチームのキャプテンー
優勝した宮城インカレですが、モチベーション動画だけをつくっていたわけではありません笑
秋リーグが終了直後のインカレの準備期間に、スタッフ陣からの任命でBチームのキャプテンをまかせていただきました。
Bチームの役割はAチームがインカレで戦う相手の戦術の再現です。
相手チームの映像をBチームメンバーで共有して紅白戦で実践するまでのDFOF戦術の再現の過程を必死になって仕切りました。
Bチームとは言えども3年生でキャプテンをする重圧もありましたが、強いチームはやはりBチームも強く、逆にメンバーに助けられてばかりでした。
「日本一のチームのBチームのキャプテン」というポジションを経験できて本当に良かったです!
ー母校の高校生指導とつくば市の中学生指導ー
3年生の12月にあった「富山ハンドボーラーズDAY2020」という大会を最後に私は選手という立場ではなくなり、筑波ではスタッフのような立場として広報関係を中心に関わりながら、母校(宮城県仙台第三高校)の指導者という立場になりました。
理由は4年間という長い時間を全て選手として過ごすのではなく、一部を自分の将来関わりたいと考えている宮城県の指導現場で経験を積みたいと考えたからです。
ここで一番お伝えしたいのは、「”筑波大学男子ハンドボール部の一員゛として母校のコーチングに携わることができた」ということです。
通念、選手という立場をやめてチームを離れて活動するということが意味しているのは、退部という選択肢だと思います。
ところが母校のコーチをしたいという話を監督の藤本先生やチームに話をしたとき、チームに色々な形でこれからも携わりながら自分のやりたいことをやるということを承諾してもらうことが出来ました。
そのおかげで私の活動の責任の所在をはっきりさせてコーチングを行うことができ、安心してたくさんの経験を積むことが出来ました。
長くなってしまうので詳細はお話することはできませんが、仙台三高の関係者の皆様には教育実習の期間も含めてたくさんのことを学ばせてもらいました。本当にありがとうございました!
また場面は変わって、卒業間際の11月から1月の期間にかけて、つくば市立手代木中学校の指導にも携わらせていただきました。
毎年筑波大学の学生がその時期に行っている手代木中学校の指導ですが、今年は僕が担当させてもらうことになりました。
高校からハンドボールを始めた僕にとって中学生というカテゴリーは未知の領域で、たくさんのことを考え、学ぶきっかけになりました。
ここも詳細は長くなってしまうのでお話しすることが出来ませんが、とても貴重な経験をさせていただきました。
手代木中学校の関係者の皆様、本当にありがとうございました!
番外編ー活躍することができた試合ー
これまでお話しした通り、筑波大学はハンドボールに様々な形で携わることが出来る環境です。
その中で男子ハンドボール部の競技者として大学生活を過ごすということは1番大きな活動の軸でした。
僕はリーグ戦インカレで大きな結果を残すことができませんでしたが、前述した「富山ハンドボーラーズDAY2020」の日本体育大学との試合で大学生活で一番活躍することができ、とても心に残っています。
2000人の観客の皆さんの前でスターティングメンバーで出場したため、とても緊張しましたが良い場面で3/3でシュートをきめることができました。
前半6点差で負けているところからの逆転勝利で、とても面白い試合なのでご興味のある方はYouTubeチャンネル「ハンドチューブ」(【日体大v筑波大】富山ハンドボーラーズDAY2019)からぜひご覧ください!
また、3年生の日本選手権で僕の高校生時代のコーチであるトヨタ自動車東日本のアナリストをされている河合さんと試合ができたこともとても良い思い出になりました!
さいごに
監督の藤本先生はよく「卒業生が10年後何をしているかを気にしている」とおっしゃっています。
目の前の試合、リーグ戦、インカレで勝つことも大切にしながら、部員がどんな大人になるのかということに期待していると僕は解釈しています。
このことが、学生主体でハンドボールに様々な関わり方ができる環境が整っていく最大の理由だと思います。
僕はここでお話したような経験をしましたが、考え方次第で他にも本当に色々な選択肢があると思います。
後輩たちは試合で結果を残すことだけではなく「学生ハンドボール界が目指したくなるチーム」として沢山の中高生の見本になるような取り組みを今後もたくさんしてくれるはずです。
卒部生としてとても楽しみであるとともに、全力で後輩たちを応援したいと思います。
卒業後、僕は一般企業でサラリーマンになります。筑波での経験を生かしながら社会を学び、いつかはハンドボール界に関わるような活動ができればと思っています!
さいごに今までお世話になった先輩、後輩、同期、スタッフの皆様、他にも僕を支えてくださった全ての皆様、本当にありがとうございました。部活での関係は終わってしまいますが、大学での出会いはこれからが始まりだと思っています。
今後ともよろしくお願いいたします!
佐藤華依