University of Tsukuba Men's Handball Team

卒業ブログ 2022年卒業 町田健一郎

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卒業ブログ

 

筑波大学社会・国際学群社会学類 卒業

筑波大学男子ハンドボール部 卒部

 

4年 町田 健一郎

 

こんにちは。

筑波大学社会・国際学群社会学類を卒業、男子ハンドボール部卒部しました、4年の町田健一郎です。

まずは藤本先生、こうじゅさん、そして保護者の皆様と4年間応援してくれた方々に感謝申し上げます。安全な環境での通常練習、コロナ渦でのリーグ戦・インカレ開催、長距離の遠征など、周りの皆様の支えがなければ、このような充実した活動は出来ませんでした。本当に有難うございました。

さて、支えてくれた皆様への感謝もこめ、ここからは3つのテーマに分けて、少し話をさせてください。

 

12年時の苦悩

沖縄のコザ高校から筑波大学で文武を両立させることは決して楽なものではありませんでした。まず学業的にいえば、偏差値が違いすぎます。どの授業でも最低ランクをたたき出し、単位をいくつも落としました。今だから言えることですが、その時部活と学類の同期に「単位はちょっとしか落としてない~」と、周りとの実力差を見栄で補っていました。高校まで順風満帆だった私にとって、これほど屈辱的なことはありません。部活動的にいえば、こちらも競技レベルが違いすぎました。高校時に得意としていたプレーは何ひとつ通用せず、入部時に抱いていた希望は、ウォールマリアばりの高い壁に変わりました。私にとっては絶対に越えられない壁でありながら、それを優に超えてくる大型巨人がごろごろいる。筑波大学ハンドボール部はそんな場所だったのです。

このような文武で途方もない実力差にぶつかった私は毎日が苦しく、必死でした。加えて家事・炊事・掃除はすべて自分でしなければなりません。新生活はことごとく、死ん生活に変わりました。

やっと。やっと、その生活に慣れてきた夏の終わり、その時4年生だった下川さんという方に衝撃の一言を食らうことになります。下川さんは私と同じ学類に所属しており、細身で手足が長く、めちゃくちゃ頭のいい方でした(現在も)。筑波大ハンド部のイメージとはあまり合致しない選手でしたが、その手足の長さと高い戦術理解度を誇る頭脳はチームに欠かせない戦力でした。そんな下川さんが偶然筋トレのペアになった私に「別に高重量をあげなくていい」といったのです。ただがむしゃらに重量を持ち続けていた私は、何を言っているのか理解が出来ませんでした。その後も下川さんの言葉は続きます。「筋トレはただ重量を持つよりは、軽い重量をしっかりとしたフォームで丁寧に、何回もあげる方が効果でるよ。」「選手によって鍛え方は違う。自分がどんな風になりたいか考えたほうがいい。」このような言葉を受け、私のなかの考え方がガラリと変わりました。推薦ではない私がすべてを一級品にする必要はないということ。自分にしかない自慢の武器があれば大学でしっかり通用すること。下川さんの言葉や姿を見て、そう感じました。自分が大型巨人にならなくても、壁をくぐりぬける方法はいくらでも存在します。その言葉に感化された私は、自分の武器とは何か、自分がチームに出来ることは何かを考えるようになりました。その後、2年春に初めてリーグ戦に出場し、その年のインカレにもメンバー入りすることになります。

4年生での集大成

 3年次は、コロナや怪我、就活に苦しめられ思うような選手生活が出来ませんでした。リーグやインカレもことごとく中止となってしまい、本当に悔しい思いをしました。今まで必死に努力して何とか積み上げた成長が、何も無くなってしまったと感じました。それは他の選手も同じではないでしょうか。特に、私の1つ上の代の先輩たちは。その中で、私には何が出来るのかをこの時も必死に考えました。その結果が、今も続いている広報活動の多様化だったのです。当時の広報局長である佐藤華依さんを中心にYouTubeでの動画投稿や試合の配信、その他のSNS戦略から、筑波大ハンド部を、学生ハンドボール界が目指すべき存在になるための土台を整えていきました。この時、すこしずつ自分にしかできないこと、すべきことをはっきりと認識し始めていきました。そしてそれは次第に、メインである選手としての活動にも還元されていきます。まず、極度の就活のストレスで70㎏にまで落ちていた体を、食事トレーニングのより81㎏にまで増やしました。具体的なトレーニング方法はここでは述べませんが(代わりに翔一朗に聞いてください)、自分にしかできないプレーを体現するためには何が必要なのかをその都度考え、その小さな目標を達成することが習慣になり、そしてやりがいになっていました。そうしてフィジカルが強くなり、就活も無事終えた私は100%ハンドボールにのめりこんでいきます(卒論0%)。おっと、ここまで自分の武器を明記していませんでした。私の武器は「1対1の駆け引き」「2枚目DFのパスカット」「チームを鼓舞する力」です。自分の武器をしっかりと認識し挑んだ春リーグではDF専門プレーヤーとして試合に出場し、その後の秋リーグでは試合の半分近くDFで出場しました。インカレシード決定戦ではスタメンとして試合に出たことも!(私にとっては死ぬほど快挙でした)12年の苦悩や、3年の悔しさが、この時報われた気がしました。そしてインカレでは3位に輝き、日本選手権では日本リーグのチームを相手に勝利も収めました。私からすれば色々と恵まれすぎな1年でしたが、この結果は今までの努力の結果なのだと今は思います。

4年間の学生生活を通して伝えたいこと

私が4年間の学生生活を通して伝えたいことは「意識を変えること」です。

就活やコロナ禍なども通して、今出来ることはなにか、すべきことは何か。この考え方が自然と出来るようになったことが、筑波大ハンド部で得られた最大の成果だと強く思っています。筑波大ハンド部に入部する前に、地元の同期からある言葉を投げかけられた覚えがあります。「筑波に行けばゴツくなるはずね~、楽しみだね~」「筑波にいけばハンドボールが上手くなる」という言葉です。この言葉を受け私は、本気で筑波大ハンド部に入れば自然にゴツくなると思っていたし、ハンドボールが劇的に上手くなると思っていました。しかし、そんなことは毛頭あり得ませんでした。よく「自分を変えたければ、環境を変えろ」と言いますが、それだけで人は変わりません。環境は勝手に変わりました。変えたのは意識です。どんな環境においても大事なのは意識を変えることだと私は思います。何か悔しいこと、嬉しいことをきっかけに意識を少しでも変えることが重要なのです。ちなみに最近、私は黒の古着のYシャツと、一番お気に入りで9000円もするオレンジ色のスウェットを一緒に洗濯してしまい、どうにもならないほどに、そのスウェットを真っ黒に色移りさせました。死にたくなるくらい落ち込む大事件です。しかし、この経験から私は、「古着は絶対に分けて洗濯すること」「色物スウェットは洗濯ネットor手洗いを徹底すること」という考え方に意識を変えました。絶対に同じ失敗はしません。このように、どんなことでもいいので、何か出来事が起こった時には、それをきっかけに少し意識を変えてほしいと思います。

変わるためには環境を変えることが有効ですが、環境が変わっただけでは人は変わりません。

プレーでも性格でも就活でも、自分を変えるためには意識を変えることが大事だということを4年間の学生生活から伝えたいです。

 

 

最後に

 

 正直言うと、入学したての頃に抱いていた理想の選手像を体現することは出来ませんでした。自らの代で日本一に輝き、その中心選手として活躍することが最大の目標だったので、それを達成できなかったのは心残りでもあります。しかし、全く後悔はしていません。その代わりに様々な経験や努力の日々、色んな方との出会いが大学生活でのかけがえのない宝になったからです。これからは社会人として、常に自分に必要なこと、できることを見つけ優秀な人材になりたいと思います。そして積み上げた能力を筑波大ハンド部に少しでも還元していくことが、一つの夢です。繰り返しにはなりますが、大学生活を通して関わった皆様、本当にありがとうございました。そしてお世話になりました。これからの筑波大ハンド部の発展を心より祈っております。そして陽太たちの代で、私たち卒業生の無念を是非晴らして頂きたいと思います。これからも引き続き筑波大ハンド部の応援をよろしくお願い致します。ばいばい筑波!

追記

 現役のみんなへ。追いコンの時に伝え忘れていたことがあります。それは、「藤本先生の言葉や加藤コーチの言葉は常に核心を射ている」ということです。試合のベンチで先生の隣に座ったことがある人ならわかると思いますが、先生は試合中常に、ボソっとタメになる一言を言います。それは加藤さんも然りです。その一言は大体が自分への言葉ではないことが多いですが(誰かのプレーに対して発言しているため)、その言葉を常に真摯に受け止め、実践でその言葉を自分なりに再現することが、高いパフォーマンスにもつながるし、メンバーにも入りやすくなります。監督・コーチの意見は、その殆どが今のチームに必要なことを暗示しています。なのでこれはマジです。ガチの裏技です。この記事を見ている後輩の子には少しでも得をして欲しいので伝えます。…とまあ、少し大げさに言いすぎましたが、それくらい、先生やコーチの言葉、周りのチームメイトを頼りにしながら自分の能力を伸ばしていってほしいと思います。みんな頑張れ!

 

 

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