University of Tsukuba Men's Handball Team

「生い立ち」 鈴木隆介

テーマ:お知らせ, ブログ

こんばんは!!

本日より「生い立ち」シリーズも4年生に入ります!

初回は主務としてチームを支える鈴木隆介選手です!

大ボリュームの3000字超えです! どうぞ!

 

 

静岡県三島市出身 170cm/74kg

三島市立北小学校→三島市立北中学校→静岡県立沼津東高校→筑波大学

筑波大学男子ハンドボール部 主務

好きな歌:君の声が(Thinking Dogs

座右の銘:初志貫徹

 

 

どうも。

 

こんにちは。初めまして。おりゅうこと、筑波大学男子ハンドボール部主務の鈴木隆介です。

今回は「生い立ち」シリーズということで僕の生い立ちについてゆるーくお話ししたいと思います。

 

スポーツ歴は?

小学校:ドッジボール(ハリケーンキッズ三島)

中学校:野球(野球部)主将 遊撃手・投手

高校:ハンドボール(ハンドボール部) 主将 CB

大学:ハンドボール(ハンドボール部) 主務 LW

 

はい、ということで今までにいろんなスポーツをやってきました。みなさん、ドッジボールと聞いて、何が思い浮かびますか?休み時間に遊びでやるものを連想しますよね?

ちがうんです!!!ちゃんと日本ドッジボール協会があって、れっきとした競技なのです!もし、興味がわいた人がいれば調べてみてくださいね!

https://www.dodgeball.or.jp/

小学生の頃はずーっとドッジボールをしてました。そこで出会った仲間とは今でも交流があるし、その中の何人かは高校時代にハンドボールで、しのぎを削った仲でもあります。なんかそういうのっていいですよね。昔の仲間と、別の舞台で今度は敵として戦うって。スポーツ漫画にありきたりな展開。スポーツの醍醐味の一つって感じ。昔を思い出しながら書いていたら、懐かしくなってドッジボールしたくなりました。

次に中学の時は野球部に入りました。元々野球は好きで球場に見に行ったこともあります。東京ヤクルトスワローズファンです。哲人大好き。青木の23番時代が好き。わかる人いますか?中学の時は毎週のように練習試合があって楽しかったですね。ただただ、みんなでふざけていた気がします。公式戦ずっと負けっぱなしだったけど最後の中体連で初勝利したのはすごいうれしかったです。

高校からハンドボールを始めました。

 

ハンドボールを始めたきっかけは?

僕がハンドボールを始めたきっかけは父親の影響です。父は高校教員でハンドボールの顧問をしていました。中学生のころに父に連れられて見に行ったハンドボール。そこで完全にハンドボールに心を奪われました。スピーディーな試合展開、迫力あるダイナミックなプレー、観客を魅了する華麗なシュート。それまでハンドボールを知らなかった僕にとって初めて見るそれは興味を惹かれるには十分すぎるものでした。

高校は第一にハンドボールのある学校で選びました。2択で迷っているところ、父から「こっちの監督のほうがりゅうには合っているよ」といわれ沼津東高校に進学し、ハンドボール部に入部しました。

恩師との出会い

高校で出会えたハンド部の顧問だった先生。この先生との出会いがあったからこそ、今僕は筑波でハンドをしています。父と知り合いだった洋介先生には入部当初から気にかけてもらい、多くのことを学ばさせてもらいました。最初は感覚でしかやれなかったプレーもいつからか考えて、予測してプレーすること、表と裏の駆け引きもするようになっていました。本当にすごい先生で、観察眼やアイデアにあふれていて、一緒にプレーしてみるとよりそのレベルの違いを感じました。今でも忘れられないのが、靴ひもを結んでいない状態の先生に対して軽くひねられたことです。こっちの動きをすべて見透かされているような気分でした。そんな先生に憧れ、尊敬し、僕の目標となっていました。

 

高校時代の成績と思い出

県ベスト4

 

僕の高校はいわゆる進学校で、文武両道を掲げているものの勉学に重きを置いているような学校でした。ハンド部の皆が高校から始めた初心者で、あまり強くなかったです。それでもハンドボールが楽しくて、毎日部活しに学校に通っている状態の3年間でした。

一番の思い出はインターハイの県予選での敗退です。着実に力をつけていて、ベスト4は狙えるほどの実力はあったと思うけれど、ふたを開けてみれば1回戦負け。初戦の硬さが取れず、本来の力が出せず、時間だけが過ぎていって負けてしまいました。恩師の先生が今年度で異動らしいといううわさを聞き、最後に先生を大きな舞台に連れていきたい。チームみんなで掲げた目標はあっけなく散ってしまいました。今思い返しても、悔しくて後悔しかない出来事です。今まで受けたたくさんのご恩を返したかったけれど、それが叶わなくなり、抜け殻のようになりました。最初は高校でハンドボールは終わりにしようと思っていたのですが、不完全燃焼すぎてこのままやめるわけにはいかないと思い、大学でも続けることを決心しました。そこで選んだのが、筑波大学。理由はただ一つ。先生の母校だから。先生も筑波大のハンド部出身でした。目標だった先生を越えるために、先生と同じ道を歩むことを決めました。

 

一番歓喜した瞬間は?

一番歓喜した瞬間は、大学2年生の時の秋リーグで初出場・初得点を決めたときです。

試合に出たいとは思っていても、まだまだ実力不足だった僕には正直、出場の機会は遠いものだと思っていました。しかし、チャンスは突然巡ってきました。試合の1週間ほど前、同期で同じポジションの矢野(現4年)が練習に遅刻して、ペナルティとして次の試合はベンチから外れることになりました。その代わりにジョーさん(現・アランマーレのヘッドコーチ)が僕を入れてくれました。うれしさと戸惑いが入り混じった感情でした。試合前日は緊張と不安で全く寝付けなかったです。それでも、棚ぼただけど巡ってきたチャンス、何としてでも結果を残したいという気持ちが強かったです。出番があるとすれば後半だろうなと思っていた矢先、前半10分過ぎで出番が回ってきました。初めて立つ関東1部の試合のコートはとてつもなく広く感じました。コートに立ったら無我夢中でした。絶対にシュートを決める!と意気込んでいました。そしてその瞬間は20分過ぎに訪れました。佐藤陽太(現3年)からのパスで飛び込み、流し中段にかちこみました。ファーストシュートでの初得点の喜び、湧き上がる歓声、褒め称えてくれるチームの方々の声は今でも鮮明に覚えている最高に気持ちの良い瞬間でした。

使ってくださったジョーさん、いいパスをくれた陽太、そして遅刻をしてくれた矢野には感謝しきれないほどの感謝があります。

これからどのようにチームに貢献したいか

僕の今のチームでの役割は主務です。チームをマネジメントするのが仕事です。全員がハンドボールに集中できるように、余計なことに気を遣う必要がないように、インカレ優勝できるようにチームに力を注いでいきたいです。

選手としての役割はスーパーサブです。矢野という圧倒的なポテンシャルを持った人がいるけど完璧ではない、そこを補完する形で僕の存在がいると思っています。5分だろうと10分だろうと与えられた時間の中できっちりと自分の仕事をして、チームの勝利に貢献する。それが自分の役目であると思っています。

最後に

気づいたらもう4年生になっていて、ハンドボールをするのもあと半年ほどになりました。同期にはたくさんお世話になりました。(それ以上にたくさんお世話しているけれど)大好きな同期とハンドボールができる時間も限られてきてしまっているけど、今までよりもっと楽しんでハンドボールをしていきたいなと思います!

悔いが残らないように、最後は笑顔で終われるように、同期6人、力を合わせて頑張ろう!!

 

長々と書いてきてしまいましたが、読んでいただきありがとうございました。

これからも筑波大学男子ハンドボール部の応援を宜しくお願いします!

 

僕から見た同期の特徴

 

翔一朗はトークブレイカー

たけはひとやす

翔大はツンデレ

まっちーは何しても許してくれる

世人はもちつもたれつ

 

これからもよろしくね!

                  筑波大学男子ハンドボール部主務 鈴木隆介

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