University of Tsukuba Rugby Football Club

4年生の想い ー第6回ー

テーマ:4年生の想い

「4年生の思い」第6回です。

今回は、蓬来直樹(人間学群:成蹊)、前川士優(社会・国際学群:黒沢尻北)、山本悠翔(体育専門学群:刀根山)の3人です

 

蓬来直樹(人間学群・成蹊)

・なぜ筑波を選んだか

 私が筑波を選んだそもそものきっかけは、ラグビーとは関係ないところにあります。高校時代から教員になることが夢だったため、教育学の分野で名高い筑波を志望しました。また、中高のラグビー部の監督である恩師が筑波の出身であったことも理由のひとつです。当時の私は、漠然とした将来像を描きながら、大学でラグビーを続けるか迷っていました。しかしそんな折、2015年当時学生相手に無敗だった帝京大学を倒した筑波の試合を観たのです。ラグビーも学問もどちらも追い求める筑波の姿は、当時の私にとても魅力的に映りました。その試合に胸を打たれたことが転機となり、筑波でラグビーをプレーしながら、教員を目指すことにしました。

 

・筑波に入ってよかったこと

 筑波に入ってよかったことは、何よりも素晴らしい同期と巡り合えたことです。筑波は入試の性質上、他の強豪のように推薦で有名選手ばかりを集めることはできません。部員の多くは、一般入試で志願して集まってきており、言ってしまえば全国的には「無名」です。無論、私の代の同期も同様です。しかし、その中にもリーダーの経験があったり、地方の選抜に選ばれていたりと、非凡な能力をもった選手がたくさんいるのです。恥ずかしながら私はそのどちらでもありませんでしたが、そんな素晴らしい仲間からいい影響を受けて、4年間で心身ともに成長できました。特に練習への向き合い方や私生活での取り組みについては、学ぶところが多くありました。改めて、ここまで共に努力してきた同期には感謝しかありません。このメンバーで、日本一の景色を見たいです。

 

・◯◯への想い

 私は、この文章を読んでくれた高校生への想いを綴りたいと思います。特に、大学でラグビーを続けるかを迷っている人に伝えたいです。結論から言えば、続けるべきです。上で述べたとおり、私も大学でラグビーを続けるか迷っていました。大学のレベルについていけるのか、そもそもこんな自分が受け入れてもらえるのか、不安でした。しかし今では、あの選択は正しかったと確信を持って言えます。

 大学でラグビーを続けようか迷っているのなら、もう一度自分の気持ちに向き合ってみてください。自分には無理だとか、どこか言い訳を作っていませんか?今現在の自分の姿だけを見て、自分の限界を決めてしまうのはもったいないです。4年間本気で取り組めば、人は変わることができます。4年後、あるいはその先の将来、自分がどうなっていたいかを考えて、後悔のない選択をしてほしいと思います。少なくとも私の経験からいえば、大学ラグビーはかけがえのない財産を与えてくれるはずです。勉強にもラグビーにも、全力で取り組む皆さんを応援しています。

 

・残りの大学ラグビーへの決意

 チームが日本一になるために4年生としてできることを精一杯やりぬきます。また、プレーヤーとしても、とにかく目の前の試合や練習、ひとつひとつのプレーにがむしゃらに向き合っていく姿を見せられたらいいなと思っています。どんなに下手くそでも、カッコ悪くても、最後までHARDに走りきるつもりなので、よろしくお願いします。

 

前川士優(社会.国際学群・黒沢尻北)

・なぜ筑波を選んだか

まず国公立であること、ラグビーが強いこと、学力のレベルが高いこと、3つの条件に最もあてはまり、文武両道が成せると思ったから。

 

・筑波に入ってよかったこと

2点挙げる。

まずは自主性の部分で競技だけでなく運営も選手が行ったり、寮ではなく自分で自己管理をすることなど、他の大学では味わえない、社会に出た時の組織的な力だったり自己管理能力の成長が出来ること。

2つ目は人に恵まれたこと。先輩も自分がかかわった代はほとんどが面倒見がよく優しい方ばかりで仕事もしやすかったし、同期も少しこの代は子供っぽさがあるかもしれないがその分魅力的なものをみんな持っている。後輩たちも尊敬できる人ばかりで自慢の後輩である。なにより筑波の勝利を先輩後輩、選手スタッフ関係なく全員で喜べるこの環境は素晴らしい。

 

・両親への想い

怒られたことこそよくあったが、性格的には手のかからない子供であったと自負している。駄々を捏ねたことも無い、これといった反抗期も無かった。手のかかる子ほど可愛いとよく言うが、その点あまり可愛くない自分を両親はその分信頼してくれた。こうするべきだ、これをやれなど一切なく、多くの選択肢を与えてくれて、自分の選択を尊重してくれた。ラグビーをやるにあたって怪我で心配をかけたこともあっただろう。そもそも大学に行けることも当たり前ではないし、体育会の部活で活動できることも当たり前ではない。地元にはもう働いている友達もたくさんいる。自分のこの環境は両親の支援と理解があってこそである。長かった学生生活もそろそろ終わる。ここまで自分のやりたいようにやらせてくれた両親に感謝している。来年から自立して社会人になる。今までどう思われていたか、これからの人生どうなっていくか分からないが、少なくとも俺は自慢の息子であり続けるように努めていく。

 

・これからの大学ラグビーでの決意

自分は高校2年の時にヘルニアの手術をした。術後、次に腰の怪我をしたらコンタクトスポーツは禁止と言われていた。大学1年のとき腰を痛め病院に行ったら再発していた。まだラグビーがしたかったから痛みが引いたらグラウンドに戻った3年の夏にまた腰を痛めた、痛みが引いたらグラウンドに戻った。4年になってコロナで先が見えない、試合ができるか分からないという状況になり、スタッフ転向も考えた。まだプレーは出来ると久しぶりのグラウンドを走った。秋になりまた腰の調子が悪くなってきた。でもリハビリをしてグラウンドに戻る。1度言いつけを破った以上2回も3回も同じだと言い聞かせる。あとからツケが回ってこようが、怪我をする前と同じパフォーマンスが出来なかろうが、試合に出ることが少なかろうが、プレーヤーでいることにした。やりたくてもできない仲間もいる。俺はまだ出来る。残り短いラグビー、出来ないことを出来るようにするにはもう身体的にも時間的にも難しいかもしれない、だから自分に出来ることをしっかりとやる。先輩たちから学んだことを後輩に還元する、まだ走れるうちはチャレンジする。最初は自分がまだやりたいから言いつけを無視してグラウンドに立っていた。今はチームの日本一のために自分の出来ることは何か考え、グラウンドに立とうと思う。

 

山本悠翔(体育専門学群・刀根山)

・なぜ筑波を選んだか

 自分は高校からラグビーを始めました。高校時代は公立高校ということもあり、人数が単独でできるギリギリの17人前後で、私立高校などには全く歯が立ちませんでした。そこで、もっとレベルが高いところでラグビーがしたいと思い、またラグビーを始めたきっかけでもある顧問の先生が筑波大学ラグビー部でラグビーをしていたことから筑波大学を選びました。

 

・筑波に入ってよかったこと

 筑波大学ラグビー部に入部して、とてもラグビーが下手な自分に監督やコーチ、上級生がスキルなどを丁寧に教えてくださり、全く通用しなかった一年目も前向きに取り組むことができたこと、一人暮らしである程度自立することができたことが筑波でよかったことです。

 

・◯◯への想い

 家族への思い

 筑波大学に入学してから定期的に連絡をしてくれて、ラグビーなどにおいてつまずいた時や怪我した時に声をかけてくれて応援してくれて、常に支えてくれた家族のみんな、本当にありがとうございます。残り少ない大学生活悔いのないように、家族のみんなによー頑張ったと言ってもらえるようにチャレンジし続け、試合に出れるように頑張ります。

 

・残りの大学ラグビーへの決意

 4年目にしてポジション変更をし、様々なことに日々チャレンジできる状況であるため、上を目指してチャレンジし続けます。また、今求められているスキルを早く身につけ試合に出られるように頑張ります。

どのような立ち位置でも勝利に貢献できるように努力し、選手権優勝できるように頑張ります。

 

 

今回の「4年生の想い」でした。

早くも残すところ3回となりました。

自分たちの代は想いを共有することが得意ではありません。このような自分の想いを伝え、仲間の想いを知れる機会をつくれて、非常に良かったと思います。

次回は池田友海(社会.国際学群・清泉女学院)、森岡竜一(人間学群・茗溪学園)、渡辺紗生(情報学群・桐蔭学園)3人です。活動していく上で、日本一になるためには選手だけでは成し遂げられません。分析やサポートなど、支えてくれるスタッフがいてこそのチームです。そんな学生スタッフ3人の想いです。ぜひ次回もご覧ください。

 

編集:一口隼人(体育4年・星陵)

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