University of Tsukuba Swim Team

【競泳】The final countdown 全国公編ー浦田 猪股 鎌上ー

テーマ:活動報告, 競泳, 競泳, 競泳

こんにちは。競泳4年の賀部寿音です。

いよいよ夏のメインレースである全国国公立大学選手権いわゆる「全国公」が明日から始まります。この全国公は毎年全国公組がピーキングする試合で、全国公組が大活躍する試合です。そんな全国公でのレースをもって競技を引退する4年生が3人います。

そこで今回はその3名に最後のメッセージとして今、そして今までの熱い思いをありのままに綴ってもらいました。(インカレ組の4年生はインカレ前にまた出したいと思います!)

 非常に長いですが、ぜひ最後までご覧ください!!

 

 

浦田愛美

 

とうとう大学生活最後のレースをすることになりますが、どこかまだ信じられない気持ちもあるのが正直なところです。それだけ私にとって水泳をすることは日常であり、水泳をしていない自分や生活は考えることができません。
ここに、これまでを振り返り今の想いを綴る機会をいただいたので、考えてみました。

言葉を並べると陳腐な響きになってしまいますが、私は本当にこの筑波大学水泳部が大好きで、心の底から感謝してます。その上で、ラストレースは、チームの力になれるよう精一杯泳ぐことは勿論ですが、一番は大変身勝手ながら「自分に贈るレース」をしたいと思っています。

中学生の時に日本パラ水泳連盟の育成指定選手になってから、その標準記録を切ることや日本代表になるための派遣標準を切ることだけが、日々の練習中や試合中も頭を占めていました。この前の3月に、ずっと目標にしてきたパリパラリンピックの派遣標準を切ることができず、目標を失い、もう厳しい練習をする意味も必要もないと、チームの離脱を考えた時期もありました。
しかし最後のこのシーズン、再びこの部活に戻ってこれたのは4年間共に切磋琢磨してきた同期のおかげです。ここで多くを語るのは難しいから、インカレまで終わってからゆっくり話そうね、ありがとう。

このシーズン、泳いでいて10年以上前のことを思い出しました。私が水泳を大好きになったのは、全国大会に出れたからでも代表になれたからでもなく、ただ泳いでる時の開放感が好きだったからです。試合も、いつのまにか罪人が裁判にかけられる日のような気持ちで臨んでいましたが、そうじゃなく、お祭りのように楽しむ場所だったことを思い出しました。

ラストレース、もう記録が良くても悪くても、何にも関係ありません。ずっと追われてきた標準記録もありません。これまで関わってくれた人たちへの、感謝と覚悟と恩を返す最後の機会ですが、自分に重いものを背負わせて戦うのはやめにしました。

これは、ただ水泳が大好きなだけだった自分に贈る、最後のレースです。見ててください。

そして、これでチーム岩城の集大成を迎えます。今年の4年生はもうみんなここで引退です!
1人1人がこれまで人生のほとんどを水泳に費やしていて、きっとそれぞれ思いのこもったレースをしてくれます。
去年の全国公で引退された智弥さんと新さんのように、熱い夏の始まりに相応しいレースをしたいです。ももちゃんと将大くんと3人で先陣をきります!
そして、頼もしい後輩たちがいるので安心して泳げます。

みんなで力を合わせて最高の夏にしましょう!!!!!

 

 

 

猪股萌々花

(写真左から二番目)

こんにちは。
4年 猪股萌々花です。

全国公目前にして初めてブログを書きます。
何を書くべきかすごく悩みましたが自分のことと後輩に向けて書こうと思います。

とは言いつつ後輩に積極的に話しに行くこともなければ、広報カメラに映らないようにしていたもので少し恥ずかしい気持ちもあります。

拙い文章ですが最後まで読んでいただけたら幸いです。

『チャンスというものは、掴み取るだけで成功とは限りません。私はチャンスを失ってどん底を知り、回り道をしたおかげで人間的に成長できたように思います』

私はこの言葉に救われ4年間大学水泳というものに全力を注いできました。

大学1年目の夏まで泳ぐことが楽しいという単純な感情だけをもち続けていました。
その頃の私はベストも出れば練習の調子も良く
初めてのインカレでは、先輩の力を借りて3年ぶり8継A決勝進出を果たしました。
この時はただ目の前のレースに必死で、大学水泳という雰囲気に慣れることに必死でした。

でもこのインカレの日からレースに対して、水泳に対して少し恐怖心を持つようになりました。

なにか明確なきっかけがあったわけではありません。でも確かにインカレのレース後、怖かったという感覚が残っていました。

そこが自分の弱かったところです。

そこからずっと2年目 3年目とその弱さに勝てることはなく、海底でもがいているような状態で、思うように泳げなくなり途中でやめようと思ったこともあります。

でもそこで出会ったのが冒頭の言葉です。

主観的に見ても客観的に見ても私の大学水泳は決して良い結果とは言えません。
今まで周りに甘え頼って、何不自由なく競技生活をしてきた私にとって初めてのスランプでもあり、苦しい経験でした。

でもこの経験も、最高の同期に出会えたのも、大学まで水泳を続けてたからこそできたことだと思います。

仮に2年目 3年目そして4年目と自己ベストを出したりインカレ決勝に残ったとして、自分が得たものはそれはそれで確かに良いものかもしれません。

でも大学水泳の魅力はそこだけではないと思います。結果を出すだけが全てではないと思います。

全国公・インカレ目前に言うべき言葉ではないですし、綺麗事のように聞こえるかもしれませんが私はこの経験ができたからこそ人間的な成長に繋がったと思っています。

このブログをもし読んでいる方のなかで苦しい思いをしている選手がいるのであれば、こういう考え方もあるんだなと思ってください。

最後に
調子のいい選手はこのまま突き進んでください。沢山の仲間が声を出して応援しています。
でももし何かにぶつかった時少しでもこの人こんなこと書いてあったなぁって思っていただければ幸いです。

果敢に攻めて、最高の夏みんなで作り上げたいと思います。GO!TSUKUBA!

 

鎌上将大

皆さんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

鎌上将大です。

最近本当に暑いですね。

でもそれ以上に今年の夏はアツいものになることは間違いありません。

 

今回はラストカウントダウンということで、僕からは少しこの4年間を振り返ってみようと思います。

※ありのままを書きます。表現等ご了承ください。

※まじで長いですお付き合いください。(冗談抜きで)

 

まず、中学1年生から憧れていた筑波大学に入学できて、地元の先輩である渡会瞬さん、西脇怜奈さん、大久保琳太郎さんと同じ桐の葉ジャージに袖を通すことが出来ることに非常に幸せな1年生。

僕は推薦でも、一般でもないので、同期はみんなすごくかっこよくて入部する前からかっこいいなと思っていました。

筑波大学体育会水泳部競泳に入部し、僕はその時超スプリンターになってインカレで活躍したい!ユニバもいきたい!

と思いメニューもInt5は絶対誰にも負けないように練習していました。

(まぁ、今思えばそれが良くなかったんだと思いますけど。)

 

あと、インカレでは水着の提供がありました。 

桐の葉の水着を着て試合に出れる!?

しかも提供!?

欲しいに決まってる!!

だから頑張る!!

 

僕が昔から頑張る理由ってすごく単純で

○○が欲しいから、○○を着てみたいから

○○に行きたいから、泳ぎたいから

 

JOを目指したのも、全中もそうです。

インターハイは、2回泳いでテレビ出たいからでした(笑)

というめちゃくちゃな理由です。

 

ウエイトが始まり、身体もめちゃくちゃでかくしようと思ってご飯を毎日5合炊いて食べまくった結果、過程はいろいろありましたが気づいたら+3キロ太って水着4枚破いてました。

8万円がああ!ってGS前に言った記憶がありますね。

↑このお腹…

 

なんだかんだで時は過ぎて初のピーキングレース

僕はインカレのタイムを切ることが出来ずにインカレには出場出来ませんでした。また、

1年生の時はコロナの影響でTTという形になりました。

結果は前半50メートルのベストで入って後半ブリ浮きするという。しかもそれをYouTubeのライブ配信で放送されるという(今もあります)地元の同級生や、友達も応援してくれたのに恥ずかしかったのを覚えています。

その後の冬のピーキングでもベストは0

小島さんや、せなさんに勝ちます!なんて大口叩いた割に何してんねん。

理想とは全く違う1年目でした。

 

 2年目

 

 2年目もインカレの標準を切ることが出来ずにインカレに出れませんでした。

「お前こんなんでいいのか?」と常に自分を鼓舞しながら泳いでました。

茨城県選手権では、大学初の2バタでベストを更新することができ、先輩や、スタッフさんがグータッチしてくれることが死ぬほど嬉しかったのを覚えています。

その後の山形県選手権で2年ぶりに1バタでベストを出すことができました。カンカレも同じぐらいで泳ぎ2回泳ぐことが出来ました。

この頃からほんとにお世話になったのが、小島さん(当時4年生)、千遥さん(当時4年生)、珠実さん(当時3年生)です。

僕のことをまぁ、それなりにいじってきましたけどお世話になった先輩です。

 

 

そして2度目の夏のピーキングレース

 

 

全国公。

 

 

1日目の2バタは3秒ベストを更新して先生、スタッフさん、先輩、後輩が自分のことのように喜んでくれたことを今でも覚えています。

2バタ3秒ベスト

 

2日目の1バタでは、絶対決勝に残る強い気持ちで臨みましたが、自分の泳ぎが出来ずにピーキングレースが終わりました。

ほんとに情けないのと、僕はピーキングマジで下手くそだなって思った夏でした。

 

その年のインカレでは、入学する前にお世話になった瞳さん(当時4年生)、小島さん、せなさんが半フリでA.B決勝で活躍していました。

千遥さんは1バタ2連覇、間島さん(当時4年生)も1ブレで優勝するという活躍でした。

小島さんの半フリが終わってサブプールに行った時に「将大、お前頑張れよ。来年は行けるぞ」

と肩を叩かれサブプールで大泣きして、せなさんに引かれたし、学連のみんなにどうした?って若干引かれてたのも鮮明に覚えていますね。

泣き虫なおしたいです。

↑めっちゃ引かれて写真撮られました。

 

僕の2個上の先輩たちはめちゃくちゃ面白くて、個性が強い先輩ばかりでずっとチームにいないかななんて思った時もありました。

これが夏。

その年の冬の冬季公認では、短水路で4年ぶりに50.100バタフライでベストを更新し、インカレ標準を突破しました。

この時の喜びようは今も語り継がれるやつだと思ってます。

 

(後輩たちは、あー、あれね?なんかインカレ優勝したか、JAPAN切ったみたいなやつね)

とよく言われます。

その時の学連の先輩が招集に張り付いていたんですが、チャレンジ前のグータッチもありました。

 

この頃からピーキングの進め方や、どうやったらいい感覚が出るかを知り始めてきました。

 

あっという間に大学生も折り返しですね

 3年目

今年こそインカレに出て活躍する!50バタフライでジャパンオープン、JAPAN切る!と意気込んで始まりました。

 

千遥さん(OG)や珠実さん(当時4年生)もインカレで活躍してくれ。君は出るんだよ

なんて鼓舞してくれたのを覚えています。

同期の翔とも一緒に出たいと思っていました。

 

大学生活もこの頃から対面での授業が始まり、他部活のお友達が増えてきてやっと大学生活が始まったな。と思っていました。

いや、一限きつ!!!って思ってましたけどね。

 

結論から言うと

 

 

レギュラー落ち。

 

水泳は記録が全ての世界なので至極当たり前の事ですが僕より速い人が3人いました。

 

3年目も出れないのか、3年目も学連か。

ほんとに何してるんですかね。

 1年生の時もタイムでなくて生まれて初めて本気で水泳なんてやめてやろって思いましたが、

再来です。

先輩の最後のインカレ、一緒に戦えないんだな。

 

僕はチームに何ができているんだろう。

何ができるんだろう。

 

正直そんなことばかりでした。

 

そんな時

 

今年から応援が解禁!

全国公はガウンが着れる!

 

いやもうやるしかないでしょ!

 

っていう感じで正気を取り戻して1度しかないこの夏頑張ろうと思い練習しました。

この期間智弥さん(当時4年生)、新さん(当時4年生)には死ぬほど鼓舞してもらいましたね

あとせなさん。

あと瑛章さん(当時M2)あ、あと珠実さん。

全国公の日に貰った4年生の手紙の中には、

 

「いつまでこんな所で燻ってるんだ?おまえならもっと上に行けるんだよ」

 

「身体を叩きすぎず、落ち着いて」

 

「将大らしく!」

 

こんな言葉が書いてあり毎年、4年生の手紙には力があるなと感じていました。

レース前に、

智弥さん、新さんが大ベストを出して完全に全国公組に勢いがつきました。

 

4年生ってすごい

 

いよいよレース

絶対2回泳ぎたいし、ガウンも着たい

 

結果は筑波落ち(全国公は上位2人しか同じ大学で決勝に残れません)

 

 

プールから上がってそのままどこかへ逃げ出したかったです。

 

控えに帰りたくなかった。

本当に嫌だった。

誰とも話したくなった。

泳ぐのが怖くなった。

プールを見たくなかった。

 

チームのところに戻った時、

香凜さん(当時4年生)智弥さんがお疲れ様!

と言われた時もう涙止まらなくて

新さんも背中をぽんと叩いてくれて

ほんとに情けない姿ばかり見せて筑波に何しに来たんだよ。って思いました。

 

チームのために一点でも取りたい。

そのために頑張ってきたし、ベストを出したかった。

 

これまで影で言われようと何言われようが頑張ってきたけど、さすがに少しきつかった3年目の夏。

 

 

来年こそ。

 

 

アクアティクスで活躍する。

 

 

冬シーズンは、代替わりになり僕たちが最高学年としてチームを引っ張る番です。

僕個人としては、選考会を切ること、練習中の声出しを全力でやって盛り上げるということを掲げました。

カンカレ25まで順調に来ましたが、インフルエンザにかかり、41度近くまで出てやばかったです。

治って次の日から行った韓国合宿

病み上がりすぎてDIVEの練習で貧血で倒れて、仙石先生に「え!帰国!?」なんて言われたのも今では思い出です。

↑カンカレ25

↑韓国合宿

 

 

冬シーズンは何とかピーキングレースの最後の最後でベストまで持っていけましたが、

目標にしていた選考会、ジャパンオープンまで、0.52/0.22と不甲斐ない結果になりました。

 

前の週の東京都シニアでは甫本さんブロックは僕以外ベスト率100%を超えていて、僕だけ98%という。。

 

 

そんな中冬季公認で、同期の翔が

 

「選考会突破!」

 

めちゃくちゃ痺れましたね

と同時に僕も行きたかった。

帰ってきて1人で大泣きした日でした

 

 選考会は学連としていきましたが、本当に狙っていた分、毎日泣きそうな思いでした。

4年間で1番経験した招集

 

 

 

そして4年目

 

最終学年として何としてもインカレでチームのために活躍したい!

1年生が入ってきて、4学年がいるこの筑波のチームでみんなでインカレを戦いたい! 

そんな想いで果敢に練習しました

 

結果は

 

 

 

レギュラー落ち

 

 

4年間で一度はインカレの景色を見てみたかったなと思いました。

でも、全力で勝負した結果です。

悔しいけど、翔、慎之介、快飛には頑張って欲しいです。

 

そしてピーキングレースは明日から始まる全国公。

この4年間の想いを全てぶつけます。

 

 

ここまで話してきましたが

 

「絶対ベスト出します」

 

ということです。

4年間インカレの舞台で戦うことは出来ませんでしたが、その分インカレ組にいい流れを作れるレースをします。

そして、ここまで水泳を続けさせてくれた両親や競技は違うけど常に争ってきた姉

本当にありがとうございます。

小さい頃から才能がないと言いつつ、ずっと見てくれた今は無き山形ドルフィンクラブのSコーチ、Aコーチ、Sコーチ、Tコーチ。

高校から、筑波の受験、現在もお世話になってます。S先生

本当にありがとうございます。

 

今こうして考えると、お世話になっているコーチ、先生はSがつきますね。これも何かの運命かもしれませんね。

 

あんまり器用では無いので、バッタブロックのみんなへ

 

俊貴さん。本当に尊敬しています、ドルフィンキックのプロです。いつも54出す詐欺してごめんなさい。今回は出します!

翔。4年間一緒に戦ってくれてありがとう。決勝に残ろうぜ。

慎之介。持ち前のポテンシャルはピカイチだからここからもっと上に!

快飛。後半の武器をさいごまで!

遥叶。最後の最後まで悔いがないように!

けいと。学ぶものが多かったです。課題解決してさらに上に!

詩央里。何よりも楽しく、そして元気に!

 

同期の皆さん。

ほんとにへんてこりんな僕ですが最後のインカレまでいい流れで行けるように爆発します。

一緒にがんばろう!

↑同期のみんな

 

 最後に僕が今まで胸にしてきた言葉を

「悠々として急げ」

No,Attack No,Chance.

「先行逃げ切り」

「強く明るく」

 

僕はほんっっっっっとうに水泳が大好きです。

泳ぐことが何よりも楽しみで何よりも大好きです。

これは一生変わることは無いと思います。

 

大学水泳の集大成となるこの試合

何としても最後はベストで終わります!

 

ガッツポーズで筑波の陣地に帰っていきます!

 

全国公組のみんな!インカレ組にいい流れ渡そう!

インカレ組のみんな!最後の最後まで戦おう!

 

チーム筑波の底力見せよう

果敢に攻めよう!

みんながついてる。

 

 

大ベストだします!

 

 

 

読んでいただきありがとうございました。

まだまだ書きたいことは沢山ありますが、この辺にしておきます。

 

聞きたい方は僕のところへ来てください。

何時間でも話します。

 

この夢の詰まった桐の葉のジャージを胸に

 

最後の夏。

最強で最高の夏にします!

 

 

 

GO!TSUKUBA!!

 

 

3名からは以上になります。それでは失礼します。

 

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