University of Tsukuba Swim Team

【競泳】Team徳淵最終章

テーマ:活動報告, 競泳

 

こんにちは。競泳4年の片桐です。

 

ついに、私もラストブログを迎えます。インカレ終わりのこの総まとめを書かせていただくことにありがたく思っています。前書きとして、広報係の話をさせてください。先日の悠世のブログにありましたが、

 

私も広報係になってよかったと思っています。

 

最初に係を言われた時は、文章を書くのが苦手で正直、嫌でした。悠世はユーモアを意識してたと書いてましたが、私はそんな余裕もありません。とにかく毎回が書くのに必死でした。ですが、この係はチームのメンバー1人1人の事を知っていないとできない仕事です。だからこそ、日頃の練習では周りの事をよく見ていたと思います。

入った当初に嫌だなと思っていた私は、最上級生となったちょうど去年、広報の仕事を決めていく中で、特にInstagramを使った投稿をみんなで協力して増やしました。正直、忘れてしまうこともありましたが少しは筑波大学水泳競泳の魅力をお伝えできたと思っています。やっていく中で大変な時もありましたが、OBOGの方や保護者の方々からご好評をいただく事も多く、私達もやりがいを感じていました。あとは後輩達よ、託した!!!

 

何よりも、悠世、この1年間私のわがままを聞いてくれて、そして添削ありがとう。

 

 

少し長くなってしまいましたが、本題に入らせていただきます。今日は想いをたくさん書かせて頂いているので、小学生の文章力みたいなつたない文ですが、最後まで読んでいただけると幸いです。

 

昨日でインカレが終了し、チーム徳淵が終わりました。

目標にしていた、男女シード権にはあと1歩届きませんでした。ですが、それ以上にこのチームの一体感や戦う姿勢は最高でした。今年はやっと制限がないインカレで、またアクアティックスセンターで行われる最初の大会でした。私達、4年生にとっては全力で声をからしてでも仲間を応援できること。出場が叶わなかったけれどもサポートしてくれる選手がいること。今までの経験でも1番、思い出に残る大会となりました。

選手のレース結果はこの前のブログで各担当から報告させていただいているので、その裏で頑張ってくれたサポート組を書かせてください。

 

まずは、同期の新と智弥。全国公を終えて、サポート組として、私達インカレ組には計り知れないぐらい動いてくれていたと思います。ここの3年間、会場に来ることができず、ましてや新しい場所で、何もかもわからないことがあったはずです。ですが、サポート組を引っ張ってインカレ組を万全の状態に臨めるような環境づくりをしてくれました。本当にありがとう。初日から声をからして、応援している姿は印象的でした。

 

 

3年生以外のサポート組は、大量の汗をかきながら会場内を歩き回って、色々と仕事をしてくれてありがとう。

 

そして学連の3人、鎌上、幹太、拓也。朝早くからそして夜遅くまでこの大会を支えてくれてありがとう。(画質がいい写真は全て鎌上が撮ってくれています。)

 

サポートしてくれる人は、表の人にはわからないぐらい時間を費やしてくれていたと思います。本当に本当にありがとう。感謝してもしきれません。

 

何よりもキャプテンである凜。この1年間大変だったと思います。辞めたいと思いながらもこのチームを誰よりも思って、引っ張ってくれてありがとう。

また、サポート組が会場に入れたことはもちろん、保護者の方々やOB・OGの方々が多く会場にいらしてくださいました。ありがとうございました。

 

振り返っても、この大会はチーム全員で臨めた試合で、スローガンの「一昇」の一は個性や価値観を尊重しあってチームが一つになって昇りつめるという意味を込めて決めました。体現できたと感じています。

 

最後のブログなので、自分のことも書かせていただきます。

 

私は高校まで大した結果ではなかったかもしれませんが、そこそこのレベルでは戦えていたと思います。ですが、コーチに言われたことをやるだけで全然練習は楽しくなく、ただ試合で勝つのが嬉しいそれだけで水泳をやっていました。

 

だからこそ水泳が大っ嫌いだった。

 

本当に何百回も辞めようと思いました。だけれども、勉強はできるわけでもない、他のスポーツは周りに笑われるほどの運動神経の悪さ。もう自分には水泳しかないそれだけでした。環境を変えてみようと思い、学校練ができる筑波を選びました。高3の時に行った、インカレは今でも覚えていて、自分もあそこの舞台で筑波に貢献したいと思いました。そんな憧れをもって入学しましたが、知ってのとおりでコロナ渦に直面しました。

最初活動休止になった時は、水泳が嫌いだったので喜んでいました。段々と日が過ぎていくうちに、一人暮らしをしてまでなにしているのかと思うようになりました。その後、泳げるようになっても言われたことをやるだけで精一杯でした。そんな中迎えた、初めてのインカレは全く力になれませんでした。メドレーにも出させていただき、先輩方のおかげで決勝の舞台で泳げたのに何もできなかった。なのに「よく頑張った」と先輩方はいってくださり、なんで怒らないのと思っていました。あの時はほとんど食事ができないほど、泣きました。

 

その後もやらされている水泳を続けてしまい、結果も残せない日々でした。そこから自分の泳ぎを見つめ直すようになり、チームのみんなに泳ぎの話をするようになりました。誰に話を聞いても嫌な顔せずに答えてくれるチームメイトは最高だなと思います。そこから水泳ばかり考える日々になり、今日はあれをやろうと考えて練習にいけるようになりました。

 

3年の秋に短水路ですが、専門である100m背泳ぎでベストを更新できたことは大きな一歩でした。このまま最後のインカレで長水路でベストを出せると思っていたのですが、関東インカレ前に初めてコロナにかかってしまい大きく計画はずれました。後遺症があり少し頑張ると息が上がってしまう日々が続き、治っても泳ぎの調子は戻らず、みんなに調子が悪いとずっと言っていました。申し訳ない。会場に行っても正直、調子は悪いままで不安との戦いでした。

 

レース前に招集所で新に行って来いって言われた時は涙が止まりませんでした。タッチして、1分4秒という数字を見た時、「あ、終わった」そう思いました。更衣室に行って、はるちゃんが来てくれた時にはまた泣いてました。だけれどもたまたま見た順位は16番。本当に神様ありがとう。ただそれだけでした。他大学で小さい頃からライバルとして一緒に戦ってきた仲間も喜んでくれて本当に嬉しかった。サブプール戻ってきた時のみんなの反応も嬉しかった。タイムは遅くても、たとえB決勝でもなんかチームに貢献できた気がしました。0.01秒差でもぎ取ったB決勝は私だけの力ではないなと感じました。これがチームなんだと。同期のみんなに比べて1点しか貢献できなかったけれども、あんだけ水泳が嫌いだった自分が、「水泳が好き」になって最高の水泳人生だったと思えている今、幸せだと思います。

 

本当に同期を始め、先輩方、後輩、先生方、ありがとうございました。

みんなに出会えてよかった。

同期よ、わがまま女でごめんなさい。時にはきついことを言ってごめんなさい。本当に支えてもらいました。最高の同期だよ。

 

 

この3年半、振り返って、1人の先輩に出会えたことは大きなことでした。

千遥さんはずっと練習を共にして、時にはふざけたりしてでもインカレ2連覇の凄い人。そんな千遥さんを師匠と呼んでいますが、本当に何から何まで感謝です。ありがとうございました。また、いつでも25のバッタ隣で泳ぎますよ(笑)

 

後輩達、いつも意味わかんない話に付き合ってくれてありがとう。君たちに支えられてばかりでした。来年は必ずやってくれることを信じています。

 

水泳が好きになった私は少しですが、水泳関係のお仕事であらたに1から頑張ります。また、みんなにどこかで会えるように頑張ります。

 

大変長くなりましたが、3年半、ブログを書かせて頂いたことを光栄に思います。これからも筑波大学水泳部競泳の応援をよろしくお願いします。

 

失礼します。

TOP